1714年(1715年という説もある)にドンカスターのウォームズワースにあるカーハウスで誕生したとされる同馬。18世紀のサラブレッド競走馬とされており、「飛ぶように走る」「世界最速の馬」とサラブレッドの歴史の中で最初の真に偉大な競走馬と称されるようになった名馬。
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フライングチルダーズ(Flying Childers)の現役時代
画像引用:wikipedia
馬名(英名) | フライングチルダーズ(Flying Childers) |
生年月日 | 1714~1715年 |
生産地 | イギリス |
生産者 | Leonard Childers |
性別 | 牡 |
毛色 | 栗毛 |
調教師 | 不明 |
馬主 | William Cavendish |
競走戦績 | 7戦7勝(※異説あり) |
父ダーレーアラビアン(Darley Arabian)、母べティリーズという血統の同馬は、ヨークシャーのドンカスターにあるカントレーホールのレナード・チャイルダーズ大佐によって生産されました。彼の父ダーレーアラビアン自体は1704年から1719年ごろまで数十頭の繁殖牝馬と交配されたとされていますが、そのほとんどはダーレー氏が所有する馬とされていますが、そんな中で僅かに行われた外部の馬との交配で生まれたのが同馬です。
レナード・チャイルダーズ大佐は、のちに同馬をデヴォンシャー公爵に売却。同馬を購買したデヴォンシャー公爵は同馬を競走馬として走らせることになる。デヴォンシャー公爵が競走馬として同馬を走らせたことにより、「世界最速馬」の称号を得るのだが、残念ながら同馬の正確な競走成績は文献が残っていないとされる。
なお、全兄弟馬が複数おり、その中の1頭はエクリプスを父父であるバートレットチルダーズ(Bartlet’s Childers) 。
フライングチルダーズ(Flying Childers)の競走成績
1着
1着
1着
1着(1番人気)
1着
1着
1着
最初のレースは1721年4月にニューマーケットで開催されたSpeedwell(スピードウェル)という馬との500ギニーのマッチレース。距離は4マイルで行われ、フライングチルダーズが圧勝しました。
同1721年10月に再びニューマーケットでSpeedwell(スピードウェル)との再戦が果たされますが、Speedwellが棄権したことによりフライングチルダーズが勝利したとされています。
3戦目は同じくダーレーアラビアンを父に持つAlmanzor(アルマンゾール)と牝馬のブラウンベティ(Brown Betty)と3頭立ての4マイル戦で実施され、ここでも勝利。
4戦目は1722年10月22日に再びニューマーケット競馬場で行われた6マイルのマッチレースでChaunter(シャンター)を破りました。
5戦目は1722年にヨーク近郊で行われたFoxとのマッチレース。文献では4分の1マイル(約400m)もの大差をつけて圧勝したとされています。
6戦目は1723年にニューマーケットで行われたStripling(ストリッピング)、Lonsdale Mare(ロンズデールメア)との3頭立てのレースを予定しましたが、両馬とも直前で棄権したため実質的に不戦勝。
7戦目はBobsey(ボブジー)という馬とのマッチレースが予定されていたのですが、こちらも直前の棄権により不戦勝となりました。
デヴォンシャー公爵はハンデ戦での競走を提案し、多くの相手にマッチレースを提案したとされていますが、いずれも拒否されてしまい、同馬は以降レースに走ることはなかったとされています。
フライングチルダーズ(Flying Childers)の種牡馬としての活躍
競走馬を引退後は英国ダービーシャー州の牧場で繁養され、1741年に26歳で亡くなるまでプライベートスタリオンとして活躍していました。一説には英国で2度のリーディングサイアーに輝いたとされていますが、現在は直系としてスタンダードブレッド(アメリカントロッター)の父系がわずかに残っている程度である。
フライングチルダーズ(Flying Childers)の血統
Darley Arabian | No Data | No Data |
No Data | ||
No Data | No Data | |
No Data | ||
Betty Leedes | Old Careless | Spanker |
Barb Mare | ||
Cream Cheeks | Leedes Arabian | |
Spanker Mare |