日本の歴代のリーディングサイアーを一覧にしてまとめてみました。日本歴代No1の種牡馬は一体どの馬なのか?このページでは過去の名馬たちの功績を振り返ります。
ディープインパクトやキングカメハメハなどが亡くなった今、日本の種牡馬は群雄割拠の時代に突入しました。POGや馬券検討にお役立てください。
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リーディングサイアーとは?
リーディングサイアーとは、特定に国や地域でNo1の種牡馬(種馬)のことを指します。主にその順位付けは産駒の賞金で行われております。例えば日本の場合はJRA(日本中央競馬会)のリーディングサイアーやNAR(地方競馬全国協会)のリーディングサイアーなどが、集計されております。
日本の歴代のリーディングサイアー(総合)
年 | 種牡馬 | 収得賞金 |
1924 | イボア | – |
1925 | イボア | – |
1926 | イボア | – |
1927 | イボア | – |
1928 | イボア | – |
1929 | イボア | – |
1930 | チャペルブラムプトン | – |
1931 | チャペルブラムプトン | – |
1932 | チャペルブラムプトン | – |
1933 | クラックマンナン | – |
1934 | シアンモア | – |
1935 | トウルヌソル | – |
1936 | トウルヌソル | – |
1937 | トウルヌソル | – |
1938 | トウルヌソル | – |
1939 | トウルヌソル | – |
1940 | トウルヌソル | – |
1941 | ダイオライト | – |
1942 | ダイオライト | – |
1943 | ダイオライト | – |
1944 | 不明 | – |
1945 | 競馬施行なし | – |
1946 | セフト | – |
1947 | セフト | – |
1948 | セフト | – |
1949 | セフト | – |
1950 | セフト | – |
1951 | クモハタ | – |
1952 | クモハタ | – |
1953 | クモハタ | – |
1954 | クモハタ | – |
1955 | クモハタ | – |
1956 | クモハタ | – |
1957 | クモハタ | – |
1958 | ライジングフレーム | – |
1959 | ライジングフレーム | – |
1960 | ライジングフレーム | – |
1961 | ヒンドスタン | – |
1962 | ヒンドスタン | – |
1963 | ヒンドスタン | – |
1964 | ヒンドスタン | – |
1965 | ヒンドスタン | – |
1966 | ソロナウェー | – |
1967 | ヒンドスタン | – |
1968 | ガーザント | – |
1969 | ガーザント | – |
1970 | ネヴァービート | – |
1971 | パーソロン | – |
1972 | ネヴァービート | – |
1973 | チャイナロック | – |
1974 | チャイナロック | 10億8,599万円 |
1975 | チャイナロック | 11億1,189万円 |
1976 | パーソロン | 10億1,897万円 |
1977 | ネヴァービート | 10億228万円 |
1978 | テスコボーイ | 10億5,082万円 |
1979 | テスコボーイ | 7億9,248万円 |
1980 | アローエクスプレス | 8億7,720万円 |
1981 | アローエクスプレス | 9億7,535万円 |
1982 | ノーザンテースト | 10億496万円 |
1983 | ノーザンテースト | 14億3,142万円 |
1984 | ノーザンテースト | 12億8,120万円 |
1985 | ノーザンテースト | 14億6,695万円 |
1986 | ノーザンテースト | 15億3,961万円 |
1987 | ノーザンテースト | 15億7,870万円 |
1988 | ノーザンテースト | 16億3,000万円 |
1989 | ミルジョージ | 18億3,275万円 |
1990 | ノーザンテースト | 22億2,935万円 |
1991 | ノーザンテースト | 22億2,73万円 |
1992 | ノーザンテースト | 18億9,472万円 |
1993 | リアルシャダイ | 17億4,861万円 |
1994 | トニービン | 18億1,092万円 |
1995 | サンデーサイレンス | 25億1,717万円 |
1996 | サンデーサイレンス | 36億5,334万円 |
1997 | サンデーサイレンス | 37億2,621万円 |
1998 | サンデーサイレンス | 44億7,544万円 |
1999 | サンデーサイレンス | 52億8,952万円 |
2000 | サンデーサイレンス | 60億6,502万円 |
2001 | サンデーサイレンス | 67億4,578万円 |
2002 | サンデーサイレンス | 68億819万円 |
2003 | サンデーサイレンス | 84億9,925万円 |
2004 | サンデーサイレンス | 90億7,693万円 |
2005 | サンデーサイレンス | 93億5,621万円 |
2006 | サンデーサイレンス | 78億6,266万円 |
2007 | サンデーサイレンス | 40億2,938万円 |
2008 | アグネスタキオン | 34億7,338万円 |
2009 | マンハッタンカフェ | 26億4,617万円 |
2010 | キングカメハメハ | 38億6,136万円 |
2011 | キングカメハメハ | 42億4,372万円 |
2012 | ディープインパクト | 50億5,732万円 |
2013 | ディープインパクト | 54億9,028万円 |
2014 | ディープインパクト | 67億9,761万円 |
2015 | ディープインパクト | 69億6,662万円 |
2016 | ディープインパクト | 74億9,307万円 |
2017 | ディープインパクト | 59億8,956万円 |
2018 | ディープインパクト | 69億2,671万円 |
2019 | ディープインパクト | 77億7,348万円 |
2020 | ディープインパクト | 80億6,782万円 |
2021 | ディープインパクト | 69億7,849万円 |
2022 | ディープインパクト | 45億171万円 |
2023 | ドゥラメンテ | 44億6,028万円 |
引用:wikipedia(1924~1975年)/JBISリサーチ(1975年〜)
ノーザンテースト時代(1982~1992年)
日本のリーディングサイアーを想起するときに、まず名前が挙がるのがノーザンテーストです。これはグレード制度など近代競馬が整備されたことや、映像や文献として多くの情報が残っていることも要因の一つです。
当時、世界を席巻し始めていた”ノーザンダンサー”の血を求めた社台グループの総帥である吉田善哉氏が、息子の吉田照哉氏に産駒の購買を命じた。息子の吉田照哉氏は1972年7月のアメリカ・ニューヨーク州サラトガ競馬場のセリ市で10万ドルで落札(当時のレートで3,080万円)。
吉田照哉氏は後のインタビューで、「(当時)ノーザンダンサー系の種牡馬は高すぎたため、直仔の産駒を購入した」「(ノーザンテースト購入後もノーザンダンサー系の産駒が世界中で活躍したため)安く買えた」という主旨のコメントを残している。
種牡馬入り後はJRAで11年連続リーディング(地方を含めた総合リーディングだと計10回)と一時代を築いた名種牡馬であるが、父系の後継種牡馬を伸ばすことはできなかった。
サンデーサイレンス時代(1995~2007年)
次に長く日本のリーディングサイアーだったのが、日本の競馬史を変えたサンデーサイレンスです。血統があまり良くないことでアメリカの2冠馬が日本に来るというのも驚きですが、実は競走馬時代に既に社台Grpが25%ほどの権利を有していたことから購買の話がきたということで、社台Grpの人脈の凄さを実感します。
日本で種牡馬入り後は、初年度から産駒が大活躍し、2世代(わずか134頭の産駒だけ)でリーディングサイアーを獲得したという脅威的な種牡馬成績を残す。
またリーディング争いをしている2位の種牡馬と賞金で何度もダブルスコアをつけるなど、種牡馬として現役の時には敵なしの状態でもあった。
ディープインパクト時代(2012年〜)
サンデーサイレンス亡き後、ポストサンデーサイレンスとして多くのサンデー直仔がその座に挑んだが、結果として長きに渡りリーディングサイアーを務めたのはサンデーサイレンスの最後の大物のディープインパクトである。
同じ馬主の所有馬でリーディングサイアー経験馬でもあるキングカメハメハ(父Kingmanbo)とリーディング争いを繰り広げることとなる。
サンデーサイレンス系の繁殖牝馬を引き受けるキングカメハメハに対して、ディープインパクトはサンデーサイレンス系の交配が難しいため、サンデーサイレンスを持たない馬か輸入牝馬を中心とした牝馬との交配が中心となったが、ディープインパクトと輸入牝馬の交配は大当たり。セールでも高値で飛ぶように売れた。
ドゥラメンテ時代(2023年〜)
ディープインパクトの後を継いだのは社台グループの血の結晶とも言えるドゥラメンテでした。しかし、惜しむべきは4世代しか産駒がおらず、長期政権を築くのは困難なことです。しかし、その短い活躍期間でもリーディングを取れたことはドゥラメンテの血の力を表していると思います。